20150705

愛のiroとカタチ

   Book Review: " The Story of My Life" by Hellen Keller

 ヘレン•ケラーは超がつくほどの有名人ですので、私が敢えてここで彼女の半生を長々と説明する必要はあまりありませんが、もし一言で彼女について述べなさいと言われたら、「盲聾の身体でありながらも人生を色鮮やかに生きた女性、、、」とでも言いましょうか?しかしいろいろ調べていくと、どうやら秋田犬をはじめてアメリカ大陸に連れて来た人でもあるらしい。しかもkamikaze号って名前つけてたみたいなのですが^^そんなミニ情報、本当か!?まぁなんにせよ伝記なんかは、確か小学生の読書感想文で読んだような微かな記憶がありますが、自伝書があることを知ったのは今通っている学校の授業を通してでした。

 本そのものの構成としては、一見バランスが非常に悪いです。不均一な構成はおそらく、目の見えないヘレンが自身の膨大な記憶だけを頼りに文字にしているところからくるものだと思います。幼少期の記憶から遡っていくようなかたちで始まり、ある場面の人生体験やターニングポイントなどはとても事細かく鮮明に書かれていますが、ある場面は記憶が曖昧なのかどことなく端折られている感があります。ただそんなアンバランスや少々の読みにくさがあったとしても、今日ヘレン自身の言葉で綴られた彼女のインターナルジャーニーを原本で読めるということは大変貴重なことだと思います。

 私はこの本を読むにあたって、まず単純に「見えない、聞こえない、しゃべれない」というのはいったいどんな世界なのだろう?と頭の中で考えました。きっとそれは広い宇宙にひとり放り出されるような感じなのでは?と、、、仮に、もしも自分が同じ状況にあったとしたら、どう考えようが正常な精神状態でいられるはずはありません。

 でもそんな彼女の危機的状況救ったのが、かの有名なヘレンの家庭教師、アン•サリバン先生。この人がいなければ、ヘレンの人生は全く違ったものになっていただろうし、目の見えないヘレンの”何か学ぼう”という溢れんばかりの好奇心をを上手に汲み取り、たくさんの言葉のキャッチボールをしたサリバン先生に私は心から拍手を送りたいと思います。要するに相性の問題なのですが、本書を読んでいても彼女たちの掛け合いはとても詩的で美しく、ふたりの美的感覚が似ていることから生まれる目に見えないシナジーがなんだかとても面白いのです。

 本編中でもっとも心動いた箇所は2つ。1つはヘレンが7つの頃、この世の全てのものには実は”名前”があるという事をサリバン先生を通して知った時で、その事実が分かった瞬間、真っ暗闇にいた彼女の世界が徐々に色づき始める様子がなんとも愛おしい。そして2つ目はその事実からしばらくした後に、今度は具体的なモノやコトだけではなく、この世界には形も色もない抽象的な事柄があるということについて学ぶ場面です。

 それは例えば「愛」というものの意味について。

 それは当然モノの名前や意味を知ることよりもはるかに難しいわけです。目が正常に見えている私たちにでさえ、「愛」というものはとりとめのない漠然としたものなのだから、当然ヘレン自身の学びのフラストレーションは最高潮に達します。

 ヘレンはとにかくこの「愛」という言葉の意味を探るために、手当たり次第、触れるもの、感じるもの全てに「それは、愛?これは、愛?」と何度も先生に尋ねます。でも先生は首を横に振るばかりで一向に具体事例を示してくれない。でもある日、外で暖かい太陽の陽がをふたりを射した時、ヘレンは「もしかして、今のこれが”愛”ですか?」と先生聞きます、そしてサリバン先生はこう続けるのです。

 「愛というものは、今太陽が顔を出す前に空を覆っていた雲のようなものです。雲にさわることはできないでしょう?それでも雨が振ってくることは分かるし、暑い日には花も乾いた大地も雨を喜んでいるのがわかるでしょう?それは愛と同じなのよ。愛も手で触れる事ことはできません。けれど、愛が注がれるときのやさしさを感じる事は出来ます。愛があるから喜びが湧いてくるし、遊びたい気持ちが起きるのよ。ヘレン•ケラー (2004)奇跡の人 ヘレン•ケラー自伝 p.45 新潮文庫

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  私は本書を英語と日本語両方で2回読んでいます。けれども2回ともこの場所で自然と一旦本を閉じてしまう。この場面を読み終えると、たくさん満足感でなんだかこの先は読まなくてももう十分だという気持ちにいつもなってしまうからです。

  今まで30何年と生きてきて、漠然と「愛」というものについて考えたりしたことはあると言えばあるけれど、どこか希薄めいた気持ちでそれを見つめている自分もあったように思います。でも最近はなんだか周り人からの”すばらしい愛”にとてもとてもとても恵まれているような気がして(感謝!)、私は当然目が見えるけれども、ちょうど幼いヘレンが愛について誠実に深い興味を抱いた時と同じように、私も後天的にこの「愛」というものがいったいなんなのかを今一度一生懸命学ぼうとしている最中みたいです。