20140213

カラダの智慧ー”学び方を学ぶ.”

 フェルデンクライスメソッドを全く知らない人に簡単に説明するにはどうしたら良いのか?というディスカッションはクラス内でもよくあります。メソッドの解釈はいろいろなディメンションからアプローチできるぶん正直難しく、フェルデンクライス歴40年の私の師でさえ時折言葉を詰まらせるくらいです。おそらくプラクティショナーにとってそれは永遠の課題ではないかとも思われます。
 
  私自身も人の言葉を借りたり、自分の頭の中でいろいろ試行錯誤した結果、どうにかこうにか日英で説明できるようになってきた(?)のでしょうか、、、わかりません。でもとにかく手短に言おうとするならば、、、
  
 フェルデンクライスメソッドとは:「各々の人が自分の辿り着きたいゴール(目標)に近づくために、自分自身の体をいかにシンプルに効率よく、どうしなやかに使うかを探ってゆく自己訓練法。」というのが今の時点で一番しっくりくる解釈なのではないかと思っています。

 そして上記の釈義からも見受けられるように、このメソッドから利益を得られる人のスペクトラムというのは職業、年齢、性別関係なく非常に幅広です。現に私の養成学校のクラスメート達のバックグランドも本当にばらばらで、看護士、医師、理学療法士などの医療系をはじめ、マッサージセラピスト、ヨガ講師などのボディワーク系、それから俳優、歌手、パーカッショニスト、ダンサーなどのアート系とバラエティに富んでいます。

 では実際にクラスではいったい何をするのか?

クラスでは主に床に横になった状態、もしくは場合によっては椅子に座って行われ、Awearness Through Movement (ATM)というなんとも堅苦しい名前がついています(汗)横になり自分の体を頭のてっぺんから足先まで観察し、プラクティショナーの声の指示だけを頼りに体をゆっくりやさしく動かしてゆきます。動きのお手本は一切ありません、さらに言えば動き自体に明確な目的がない場合が多いです。というかここがフェルデンクライス醍醐味。耳からの情報だけを頼りにすること、そして生まれたての赤ん坊のように目的意識なくただただ遊ぶように動く事で、自分の中から”自発的”にでてくる体の動き/感覚を察知し、それをドミノの様に広大な学びへと連鎖させてゆきます。

 始めたばかりの頃はもちろんたくさんの戸惑いがありました。初めての授業は全くの「?」で、「いったいあれなんだったんだろ??」という悶々とした気持ちで帰宅。なぜなら見本もなく、筋トレでもストレッチでもないこの全く新しいものをいったい自分の中でどう処理して良いのかが分からず、過去の教育経験において「何かを見て、それに従ってやってみる」ということにどうしても慣れすぎている私は、「正しくできているのかな?」 と”そこ”に気をとられてしまい、全く集中できず、、、。単に自分自身の体の動きと感覚に目を向けてみるということが本当に難しく、思いグセ(習慣)というのはこんなにも私の学びを邪魔するのかと驚いたものです。

 でも「なんか好きだな〜。」という気持ちだけでクラスに通い続けたところ、回を重ねていく度にだんだんと自分の身体(ボディイメージを含む)を自分で緻密に知ることができるようになり、その頃から一つの動作とっても、驚く発見や全く新しい発想が生まれるようになってきました。決定的だったのは、「何が正しくて、正しくないのか」という思考枠から解放されたとき、思うように動かない右半身が実は面白いほど楽に自由に動く!と自分自身で気づいた事だと思います。自分がいつもしていることに”気づく”というのは、私たちが思っているよりもはるかに肉体、感情面への影響は多大なようです。

  それにしてもこの飽きっぽい性格な私が、フェルデンクライスだけは本当によく飽きずに続けているな〜と思うのですが、それを「何故だろう?」と考えた時、おそらくこの一見曖昧で宙に浮いているような感覚的な感じだとか、終わりのないフィロソフィアな身体探求ができるところ、精神的/心理的に作用してくるあたりがきっとツボなんだと思います。あとは何より師弟関係という教育軸なしに、自らの力で”学び方を学んでゆく”この方法が私にはとってはとても合っているようです。

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